きゃべつそふと新作『ジュエリー・ハーツ・アカデミア』を買った。
自分がプレイする冬茜トム作品は、発売時系列順に『彩頃』『あめぐれ』『さくレット』からの4本目。
冬茜トムは、少なくともいま美少女ゲーム業界にいるライターのなかでは突出した才能をもっているひと。
個人的にはオールタイムで考えても、(思い入れの強すぎる麻枝准を除けば)ナンバーワンで好きなライター。
まず冬茜トムがすごいのは、美少女ゲームの構造に対して自覚的なグランドストーリーを描きつつも、各個別ルートにおいて主人公やヒロインが下す選択のそれ自体としての価値、かけがえのなさを肯定する作品を作っているところ。
基本的に「メタエロゲ的なグランドストーリーが導くカタルシス」と「個別ルートでのキャラクターの生の独立性」は「一方を立てれば他方は立たず」という関係にあって、ふつうは共倒れを避けてどちらかに偏ったシナリオを書くしかない。けれども(少なくとも『あめぐれ』以降の)冬茜トムは、これらをものすごい水準で両立させている。
こうしたバランス感覚は、つくりこまれた設定だけじゃなく、キャラクターのセリフ回しなどにも現れている。そのさじ加減の感覚や作劇の技術は、本当に天才的としか言いようがない。
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あと個人的には、冬茜トムは、フィクションは「現実逃避」でも「現実を生きるためのエネルギー源」でもなくて、「現実に対して別の仕方で意味づけを行う」ことができる何かなのだとわかっている(稀有な)ライターだと思っている。
プレイ済みの人ならすぐわかってもらえるだろうけど、もちろんそうした意味づけは『さくレット』で顕著だ。【以下さくレットのネタバレ】なにせ私たちが生きる(桜雲ではない)令和の日本は、本当は所長たちがつくりかえた未来なのだから。
でももっと根本的に、もし私たちがフィクションのキャラクターである所長を本気で愛して生きていくことができたなら、その生は、「異なる時代異なる世界で出会った、けれどももう会えない所長との愛を信じて生きていく」という風見司の生とじつはそこまで変わらないのではないかと僕は思った。
少なくとも『さくレット』を終えた直後の自分は、他のキャラクターはもちろん現実の人間に対しても、「ゲームはゲーム」と頭を切り替えて良いのかわからなかった。それは、パンデミックに直面する令和の日本を生きる司が、あの大正の時代を「ただの夢」と切り捨てるのと同様、彼女に対する重大な裏切りに思えたから。
もちろんそうした感覚は、現実に対するひとつの錯覚だ。
けれども冬茜トムのシナリオは、ひとをそんな錯覚にいざなうだけの強度を間違いなく有している。
というわけでジュエハも期待しています。
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ところで、次のコミケでこんな本が出るみたい。
【C100新刊】緋色と雪色の彩典~冬茜トム作品合同誌~ サンプル https://t.co/4kmXoBaobY
— Planador@C100(日)東2 S-12a (@FMrose175) 2022年7月22日
B5版、本文108P、イラスト9枚、ノベル12万字超でお送りします。予価1000円、8月14日(日)、東2S12a、サークル「半結晶性みぞれ」にてお待ちしております。 #彩頃 #あめぐれ #さくレット
さいこう!!めっちゃほしい!!!冬茜トムばんざい!!!